メモの為に。
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全日空ハイジャック1999年7月23日札幌行きNH61便の真実:「最良の日 最悪の日」(小林信彦)
2007/11/23(金) 午後 2:30
(前略)
「最良の日 最悪の日」の中の「宍道湖の夕陽」(1999/09/02)の章で気になったことがあったので、書いておく。
:国内線に乗るのは久しぶりで、先ごろのハイジャック殺人犯がコックピットに入ろうとした時、なぜ男性の客室乗務員が止めなかったのかと不審に思っていたのだが、改めて見ると、スチュワーデスばかりなのだ…:
というくだりである。
わたしは、当日、その現場に居合わせ、犯人の西沢某君の、搭乗時から、我々に取り押さえられ、拘束され、機外に毛布に包まれて、運び去られるまで真近にいて行動した者として、事実は正確に記しておかなければならないと思う。
私にとって1999年7月23日は「最良の日 最悪の日」であったからである。
私は、当日、ジャンボジェット機の2階席、コックピットから2ブロック目の左側3列目の通路側に座っていた。
離陸予定は午前11時。離陸予定ははや、20分を過ぎていた。
犯人の西沢某は2ブロック目右側最前列の通路側の席である。つまり、私の席から目と鼻の先の位置である。
彼は、後の報道写真で見るとひじょうにハンサムボーイ。いわゆるイケメンである。
しかし、これは後に私が事情聴取を受けた際に担当の刑事にも話したことだが、報道写真と似ても似つかぬ別人の風体であったのである。
薄汚れたカッターシャツにノーネクタイ。頭はぼさぼさ。ディップが塗りたくってあり、髪の毛が逆立っていた。ジェラルミンの手提げカバン。両手には夏だというのに薄汚れた白い手袋。ご丁寧に、両手の手袋を輪ゴムで止めてある。
一目でおかしい、とわかる風体で、彼は緊張した面持ちで、離陸するまでカバンに両手を突っ張ったまま、なにやらブツブツ独り言を話していたのである。
機が上昇を始めた瞬間、彼はカバンから包丁を取り出し、ボール紙で作った鞘から抜き去ると、側を歩いていたチーフアテンダントに包丁を突きつけ、すぐ目の前のコックピットを開けさせ、中に侵入したのだ。
そのときには副機長の古賀操縦士が機を操縦していたが、古賀操縦士をコックピットの中から追い出し、代わって西沢本人が操縦桿を握ったのである。
当時、2階席には日本オラクルの社員と電通の社員が札幌で行われるコンペのため多数乗っていた。たまたま、私の周りの席は両社の関係者が殆どであった。
チーフアテンダントが包丁を突きつけられる前から、もはや異変を感じていた数人は立ち上がり、止めようとした。
それを必死で制したのが、チーフアテンダントと他のアテンダント達である。実は、私たちは止めようと思えば止められたのである。
西沢の体格は実に小柄である。周りには体格の良い、また、海外経験が多く、自分の身は自分で守るをモットーとした人間たちばかり。私たちは行動を起こそうとしていた。
このときの判断と後の判断と行動が密接に絡み合い、「最良の日 最悪の日」を演出していくのである。
マニュアル主義に陥った日本の企業社会と、その構造に嵌り込んだ全日空社員アテンダントたち。
そして、それを打ち破った一部の者たちと、マニュアルなどハナから信用しないものたちとの鬩ぎ合いが始まった。
それは、正しく生と死を賭けた鬩ぎ合いだったのである。
(続く…)
(中略)
人間はいくら個人個人、ちっぽけな存在であろうとも、測り知れない体験を持つものだ。
私も、たった半日の出来事で、生と死を味わうことになった。
ハイジャックされた全日空NH61便羽田発札幌行きは、航路を大きく逸れ、レインボーブリッジをすれすれに飛び、東京ディズニーランドを左手に観て、ゆっくりと南下した。
その頃、2階席にいた搭乗客と客室乗務員以外、機がハイジャックされたことを誰も知らなかった。また知らされてもいない。
西沢と怒鳴りあいの末、コックピットを叩き出された古賀副機長は抵抗する術もなく、2階席奥へと退く。長島機長に「犯人を刺激しないように」と諭され出て来たらしい。
空白の時間が流れ、そして続いていく。
私たちは、その頃西沢が操縦桿を握っているなど露知らず、乗客も当然知らされていない。
チーフアテンダントはコックピットに耳を付け、中の様子を伺いながら、他の乗務員達と乗客たちに、「立ち上がらないように」と静止の動作を繰り返している。
聞けば「マニュアルどおりの対応をしているから大丈夫」との事。
私たちは耳を疑う。「マニュアルなど信用できるものか」というのが大方の意見。「何ができるか、考えよう」と隣近所、お互いに話し合っている。
江ノ島を右手に見て、大島へ飛行機は飛ぶ。江ノ島の先には富士山がくっきりきれいに見えているのが皮肉である。
大島手前を右に大きく旋回をする。
チーフアテンダントから情報が入る。
「犯人は横須賀の米軍基地に着陸するよう要求している」との事。2階席の後方の乗客は1階席に移るようにとの要請があった。20~30人余りが1階へと降りていく。
どうも、2階席後方の乗客にも余り事態は飲み込めてないらしい。
左手に大きく横須賀基地が見えてくる。大型の巡洋艦や駆逐艦が見える中で、空母らしいものも見える。
また、情報が入る。横須賀には着陸できないので、福生の横田基地へと目的地を変えたという。
その頃から、客室乗務員達の動きが急に慌しくなり、古賀副機長の他に、初めて見る操縦士の服装の方が客室前方に移動してきた。
山内機長とおっしゃる方で、待機乗務でこの便の2階後方に乗っていたという。小柄で白髪交じりのいかにもベランメェ口調で話す、いかにもベテランと見える方である。
もう1人、トランジスターグラマーともいうべき、山内純二さんと同じ便に乗務するアテンダントの女性の方が一緒である。
山内さんとその女性は「大変なことになっちゃったな」と周囲も気にせず話し始める。どうも、「操縦桿は犯人が握っているらしい。長島機長の話し声がしない」ということらしい。コックピットの中の様子をモニターしていたらしい。
山内さんとその女性はチーフアテンダントや古賀副機長を叱咤する。「おまえたち、なにやってるんだ」チーフが答える「マニュアルが…」
「そんなもん、関係有るか」と山内機長。トランジスタグラマーさんも「あんたたち、しっかりしなさいよ」と発破をかける。
我々も当然のごとく、話の輪に加わり、「もしもの時にはコックピットに突入するので協力して欲しい」との山内さんからの要請があった。それをチーフアテンダントがさえぎろうとする。
山内機長とそのアテンダントが「邪魔だ」と退ける。
山内さんの話によると、「操縦桿は犯人が握っている。長島機長はどうも怪我をしていて操縦桿を握れないらしい。横田基地に着陸との事であるが、墜落する恐れがあるので、自分と古賀が突入するので協力して欲しい。そしてくれぐれも自分を信頼して欲しい」との事であった。我々は、協力する旨、返答し快諾した。
気持ちは誰もが一緒である。同じ難破船に乗り込んだもの同士。短時間で心は通じている。
その数、14・5人余り。家族連れやお年寄り以外は全て協力するとの意思表示である。
トラグラさんいわくは、「山内機長は自衛隊上がりの超ベテランで天皇の欧州訪問の際の機長だったので安心して欲しい」とのこと。
その頃、我がNH61便は横浜上空を越え、八王子上空を超低空飛行で横田基地を目指し、揺ら揺らと飛んでいたのである。
当時、私は44歳。娘は小学生。双子は保育園に通っていた。
余りにも、私が乗っていたNH61便が八王子上空を低空飛行するので、小学校の先生は墜落するのではないかと騒ぎ、双子たちは保育士たちと、私が乗っているとも知らず、手を振って喚声を上げていたとの事である。
皮肉なものである。私は死と隣りあわせで、自宅の真上すれすれを飛んでいたのである。
高尾山を左手に見て、昭島を越え、福生に入る頃、急に機が超低空飛行になった気がした。窓の外から、国道沿いに建つマンションの窓、窓がくっきり見える。
「これはやばいぞ。突入しよう」との山内さんの声。「コックピットの鍵もってこい!」との罵声がとぶ。チーフアテンダントはおろおろしたまま。機が福生上空を横田基地に進入しようとしている。
余りにも低空である。基地内の米軍マンションにぶつかりそうである。
トラグラさんの「あんた何してるのよ。早くしなさいよ!」の声が飛ぶ。乗客も立ち上がり、前方と後方に分かれ、突入の準備に入る。鍵は見つからない。
機はどんどん、機体を下げている。そして、横揺れが激しくなってきている。私たちは、「こりゃあ、落ちるな。覚悟するか」と話し合う。何故か心が醒めている。
私は生命保険の額を考えた。「大丈夫だな。保障も出るし。」
「あきらめるな」と誰かが落ち着いた声で言う。「そう、そう、諦めない!諦めない!」声を掛け合う。
突然のピープー音が鳴り響き始める。エマジェンシーコールだ。機体がぐらつく。地上がまじかに迫る。木々と同じ高さで飛んでいる。
突然のアテンダントの放送。「この機はハイジャックされています。シートベルトをしっかり付け。立ち上がらないようにしてください!」が繰り返される。
もう遅いよ。
飛行機のエンジン音が急に高くなる。機体が急に前のめりに突っ込む。爆音がする。
「もうだめだ。こりゃ堕ちるな。」と、後方で待機していた隣の人と声を掛け合った瞬間。そして、「わーっ!」とばかり心で叫び、覚悟を決めた瞬間。
山内さんと山内さんの部下の高木副機長。その後から古賀副機長。そして前方の乗客数人がコックピットの扉を蹴破り、山内さんが操縦桿に飛びついた。
山内さんが操縦桿に飛びついた瞬間ははっきり見たものの、西沢を蹴倒した場面は見えなかった。
その光景は今でも目の奥にしっかり刻まれている。
機体は轟音と共に急上昇を遂げた。
「なんて事をするんだ。この野郎!」の山内さんの罵声。何人かが西沢を組み伏せており、上から乗りかかり、動けないようにしている。
「助かった!」急に、心に冷たい風がザワザワと入り込んできた。
長島機長はとうに事切れていた。右首筋から左肩口に包丁が突き刺さり、折れた切っ先が肩口から飛び出していたという。コックピットの中の様子は、よくは見えなかったが、血で真っ赤であった。
無事、羽田に着陸をし、西沢が毛布でぐるぐる巻きにされ、運ばれていく。我々のベルトとネクタイで猿轡に雁字搦めにされ、しっかりと目を瞑っている。包まれた毛布は血だらけ。西沢の顔も血だらけだ。
羽田の施設の一部に移されて簡単な事情聴取の後、私はすぐに、札幌に飛び立った。出張だからな。
翌々日に東京に帰り、刑事さんが2人会社に訪ねてきた。2時間ほどの事情聴取を受ける。
お2人とも感じの良いソフトな方であった。事情聴取の最後に刑事さんからのお願いがあった。
1つ目は「調書作成の際には、警視庁までご足労をお願いしたい」。
2つ目は西沢の様子について「彼の異常性について、お気持ちは良くわかるが公判維持の観点からなるべく○○○いただきたい。」
3つ目は「横田に墜落しそうになったときの飛行機の高度が新聞発表と皆さんの認識が違う。皆さんの方が正しいが現在のところ調査中なのでお含み置き願いたい」である。
NH61便の落下高度は地上210m~130mとなっているが、実は違った。60m~90mが正しい。
確実に墜落の寸前であったのだ。
長島機長は51歳で亡くなられた。私はすでにその歳を過ぎている。ご葬儀にも参列したが改めてご冥福をお祈りしたい。
西沢君は無期懲役の罪に服していると思う。病状が回復し、いつの日か社会復帰ができることを願うのみである。
人は紙一重の生活を過ごしている。その紙一重とは生と死を分かつ紙一枚である。
(後略)
ANA61
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執筆者:osakanamanbow