妻の祖父が死んだのが岩屋の病院で、明石海峡大橋を見ながらの最期だったという。県立淡路病院(洲本市、県病と略す)に最初は入院し、その病気に明るい医者が岩屋の病院にいるということで転院したという。
三原町の人間が病気になって岩屋の病院で死んだのか謎だったので調べてみた。
そもそも、岩屋の病院というのは何ぞや。
多分、国立明石病院岩屋分院のことだろう。今は聖隷福祉事業団に払い下げされて、聖隷淡路病院となっている。2014/04に淡路市南鵜崎、淡路花博跡地に移転する。
では、国立明石病院とは何か。
これは、現在の明石医療センターである。明石市大久保町八木にある。
そもそもは、1923(大正12)年に加古川市尾上町に創設された加古川第一陸軍病院が起源。戦後厚生省所管となり現在地に移転し、国立大久保病院となる。大久保町の明石市編入に伴い、1951(昭和26)年に国立明石病院と改称。国立病院再編成計画に伴い廃止されることになり、2001(平成13)年に明石医師会立 明石医療センターになった。
県病の医者が手におえないと思ったから国立病院に転院させた、と考えればまあ辻褄が合うかな。
……何の病気だったかは後で聞いてみる。
聖隷淡路、国立明石病院岩屋分院、県立淡路病院(県病)
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執筆者:osakanamanbow