武力行使による戦争は最悪の手段である。
しかし、相手が武力行使をした場合、対抗手段は武力行使でしかない。話し合いは存在しない。
原爆を含む空襲の被害と、戦闘の被害を混同するな。
終戦記念日だ。
ポツダム宣言受諾を天皇が玉音放送で発表した日だ。
でも、本来の戦闘停止は停戦発効日である9月2日だ。
日本軍は8月15日で戦闘停止したが、それまでにソ連軍は満州を樺太を占領し、あわよくば北海道にまで上陸しようとしていた。
こんな基本的なことさえ混同しているのが現状だ。
本題に戻す。
原爆や空襲の被害を上げて「こんなひどい戦争はもうしない」という論理がある。
それは「戦争の被害」なのか?
「無差別爆撃の被害」ではないのか?
兄が徴兵されました。徴兵された兄は、南方地域で死にました。
これは「戦争の被害」あるいは「戦闘の被害」だろう。
沖縄で、家の地域が戦闘に巻き込まれ、銃弾が撃ち込まれて一家全員死亡しました。
これも「戦争の被害」あるいは「戦闘の被害」だ。
そんな悲惨な戦争はもう二度としてはならない、になるだろう。
でも、後方地域で、本土で、戦闘と関係ない(総力戦だけど)ところで無差別爆撃を受けて、
それで「こんなひどい戦争はもうしない」という論理はちゃんちゃらおかしいと思う。
それは無差別爆撃はただの虐殺だ。
原爆を含む日本本土空襲による被害、特に住宅地での被害は、戦争犯罪の「無差別爆撃」による犠牲である。
それは相手の虐殺という行為を糾弾こそすれ、自分たちが何か反省すべきところなどではない。
住宅地でも工業製品を作っていた?
それはちゃんちゃらおかしい。組立工場を破壊すれば製品は出来上がらない。
その昔、「1億人の昭和史」の空襲被害の写真を見て、「このクソ鬼畜米英が」と思った。
武力行使による戦争は最悪の手段である。
しかし、相手が武力行使を持ってきた場合、対抗手段は武力行使でしかない。
原爆を含む空襲の被害と、戦闘の被害を混同するな。
原爆を含む空襲の被害と、戦闘の被害を混同するな。
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執筆者:osakanamanbow