公立は上から、北、西、市立、南、湖東、湖南。
北高は旧浜松一中→浜松一高。75分授業だった。進路指導は放任主義と言われ、浪人上等の雰囲気があった。
西高は旧浜松二中→浜松二高。一学年定員405名(9クラス)で、男女別に定員が存在し、女子は90名。当時は理数科が存在。SSH指定。北に追い付け追い越せ(無理)でスパルタ教育。
市立は旧浜松高女。当時もまだ女子校で、看護科があった。
南、湖東、湖南はよく知らない。
東高は実業が主体。普通科は……。
農業経営高校という農業高校や、天竜林業高校という林業高校があった。三ケ日高校は隠れた名門校だった。
私立は基本的に公立のすべり止め か 公立に入れない子用。
男子は浜松日体か興誠(浜松学院)。どっちも特進コースがあったと思う。興誠は当時男子校。日体の方が進学実績はよかったが、強制坊主頭。
女子は海の星(浜松聖星)、誠心(浜松開誠館)、信愛(浜松学芸)、聖隷(当時は看護だけだった)、女子商(浜松修学舎)、西遠女子。女子高天国だったが、西遠を除いてみな共学化された。
浜松経理(浜松啓陽)は昔からある経理の専門学校。
オイスカは特殊な人しか行かない、右翼宗教系の高校。